pochitto’s blog

詩、雑感などを記しています。

キャラとキャラクタについて

これを読んでの感想

MIYADAI.com Blog - アートについての原稿です。
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ポストモダンというと、J・F・リオタールの「大きな物語が失われ小さな物語が並立する」といった言葉を想起しよう。だがこの紋切型には意味がない。結論的にはモダンがポストモダンになるとは〈システム〉が全域化して〈生活世界〉が空洞化することを言う。

私が何に同一化しようと試みても,キャラとキャラクターの二重性は消せない。キャラの向こうにキャラクターが覗き見える。それがある種の猥褻感を与える。猥褻とは、性的なものが露出してはいけない空間に、不用意に性的なものが露出した際に生じる感情だ。

最終的に残る<生活世界>は、他ならぬ<腐敗する臓器としての己>なんだな、と思う。<腐敗する臓器としての己>=キャラクタと<システムの一部としての己>=キャラとの微妙なズレが奇妙な懐かしさやエロティシズムを生み出すのだろう。そしてそれを我々はポエジーと呼ぶのかもしれない。