pochitto’s blog

詩、雑感などを記しています。

図書館にて

このあいだの日曜日、近所の図書館でコメニウスの「世界図絵」を借りた。
史上初の絵本、絵入り教科書ということらしいが、何といっても図版が魅力的だ。うちの嫁さんに言わせると、ただただ「気持ち悪い」らしいが(苦笑

大型本コーナーにも立ち寄ってみた。
サルバドーレ・ダリの画集があって、年代順にダリの作品が紹介されていて便利だったので、例の「記憶の固執」がいつ書かれたのかを調べてみた。
実際は1930年に書かれたのだが、それよりも何よりも驚いたのは、初期のダリの下手クソさ加減。キュービズムの猿真似やら、くだらない静物画、人物画など、言われなければダリの作品とは気付かないようなものばかりだ。

その他気になった本、ジャンルなど
・広島原爆「10秒の衝撃」
・和漢三才図会
ジャック・ラカン関連
・クラウゼビッツの戦争論
シェイクスピア
・赤ちゃんの命名(w
吉本隆明
東洋文庫
日経サイエンス
・MOE

ちなみに、

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世界大百科事典
コメニウス Johann Amos Comenius 1592‐1670

チェコスロバキア宗教改革者,教育思想家。チェコ名はコメンスキー Jan Amos Komensk∀。近代教育学とくに教授学の祖といわれる。モラビアの製粉業者の子に生まれ,ドイツの大学で神学を学び,帰国してフス派の流れをくむボヘミア兄弟団の僧職につき,のち指導者となる。三十年戦争でドイツ皇帝軍に制圧されたボヘミアから亡命し,生涯ヨーロッパ各国を流浪した。この間,予言者コッター Christoph Kotter に出会い千年王国説に影響を受け,また未来世代としての可能性を秘めた子どもへの期待に開眼して神の国の地上における実現に情熱をもやす。亡命の初期に刊行した《語学入門》 (1631) などでおもに言語教育の革新者として高名になり,ハートリブ Samuel Hartlib たちに招かれたイギリスでは,その来訪を機にローヤル・ソサエティ設立の討議が始まり,ベルリン科学アカデミーを設立したライプニッツも彼の影響を受け,アメリカのウィンスロップ John Winthrop, Jr.はハーバード学長への就任を要請したという。またハンガリーに招かれて学校改革の実践にとりくんだこともある。

 彼の教育思想は,祖国の解放を宗教改革と一体にして行う課題から出発しながら,世界平和のための世界政府建設の理念と結びつくところへ発展したが,その背景には世界を神における一大調和とみる世界観,知を通して徳から信仰に至るという認識論とを含む神学がある。この観点から,すべての国の男女が同一の言語によって,階級差別のない単線型学校制度において学問のあらゆる分野を統合した万人に共通必須の普遍的知識の体系 (パンソフィアpansophia と彼は名づけた) を学ぶ必要を説き,みずからその体系化に精力を注ぐとともに,それを確実に身につけるための合自然の教育方法を追求した。主著《大教授学Didactica Magna》 (最初チェコ語で書かれ,のちラテン語訳。刊行はラテン語版 1657 年,チェコ語版 1849 年) は世界最初の体系的教育学概論書といわれるが,教育方法理論の点では同時代のドイツの教授学者たちの業績を継承・発展したものとみてとれる。自然界の現象を観察し,それにならう教授を行えと説くが,そこには植物の生長を自然のモデルとする自主的学習に導く原理がある一方,自然の生産過程の模倣としての機械加工技術をモデルとする視点もあり,学校を人間製作工場に,教育技術を印刷技術になぞらえることもある。世界最初の絵入教科書《世界図絵》(1658) は,視覚教材の重要性を先取りし,言語を事物と結合して学習する方法を具体化してみせた。