pochitto’s blog

詩、雑感などを記しています。

我ら美しき道程を辿りて

思い出を美化して語ることは、つまり自らの辿ってきた道程を美化することに他ならない。そしてそれは現在の自分を正当化するための言い逃れに過ぎない。


筆者の勤務する会社において、ベテラン管理職の人々は皆「アトム研修」というものを1度ならず経験している。
アトム研修というのは、家電のシャープが内部組織として持っている「アトム隊(ATOM隊)」が各地へ出向き、シャープの商品販売に携わる人々を訓練、教育するという趣旨の研修である。
実際の研修の内容はというと、ATOM隊長以下隊員の指導(命令)に従って大声で挨拶する、戦陣訓を唱和する、シャープ製品を礼賛し売りつける、それらが出来なければ罰として天突き体操(スクワット)、などなど。
いわゆる自己啓発セミナーのノリであり、軍隊の真似事であり、軍隊の質の悪いコピーである。
この研修を通じて何を学ぶか?あるサイトで洞察に満ちたコメントを見つけたので、引用しておく。

そのときはよくわからなかったが、振り返ってみると意味のない研修であった。
ただ、一つ、どんな嫌なことでも時間が来たら終わるということを学んだ。
翌日会社に行くと、誰もが、声は森進一、動きはロボコップになっていた。

誰もがそう思っているに違いない。
と思いきや、そうではない人々も数多く存在する。
先に触れたベテラン管理職の面々が、まさにそれである。
「アトム研修は良かった」「アトム研修で鍛えられた」「新人研修にアトムを取り入れてはどうか」などなど。
私は思う、彼らは思い出を美化することにより、自らの辿ってきた道程を美化しているのだと。それにより、現在の自分のありようを正当化しようとしているのだと。
そうでなければ、おそらく声が枯れ、自尊心を損なわされ、結果として珍妙な言動という後遺症を数日間引き摺るだけに終わった無為なる研修を、ここまで美化することはできない。


そしてアトム研修から幾星霜を経て、彼らベテラン管理職はいかに研修の成果を活用しているのか?
・・・彼らの辿ってきた美しい道程を汚さぬため、その点については触れないでおこう。