pochitto’s blog

詩、雑感などを記しています。

会社組織における自己憐憫サヨクの存在

会社組織の中にいると、よく「この会社は根本から腐っている!オレ達の力でこの会社に革命をもたらそうぜ!」といった発言を耳にする。とはいえ公の場ではなく、あくまでもオフレコの場(喫煙室や飲み屋)で。
「会社に革命を」と言う台詞は聞こえがいいのだけれど、よくよく考えてみると発言者は本当は革命など起こりようもない、と重々承知なんじゃなかろうか。「そうだよなオレも同じ意見だよ」という同調を得たいが為の発言ではないか。
さらに突っ込んで考えると、先ほどの同調の裏には「なんて哀れな境遇のオレたち」という自己憐憫が潜んでいるように思うのだ。つまり、最初っから革命なぞ不可能だと知りつつ、それを標榜し、周囲の同調を得つつ自己憐憫に浸る、という構図がそこに在るんじゃなかろうか、と。
これは厄介だ。彼らは革命が可能なポジションには就きたがらず(つまり無責任)、会社に対して反抗的であり続けようとする。そして自らの境遇を哀れむ。彼らは常に賛同を得るのだ、なぜなら新しいフォロワーが次々と入社してくるから。最終的に彼らは依願退職によって自らの正当性を確固たるものにする。逃げた、などと言ってはいけない。彼らは殉職者なのだよ、キミ。僕らの永遠のヒーローさ、会社が低成長に喘いでいるうちは。
オレは彼らを心底卑怯だと思う。何の責任も果たさず、逃げるとは。革命?最低限の責任を果たしてから言えよ、と思う。
それにしても、これはどこか見覚えがある構図だ。
どこだっけ。