pochitto’s blog

詩、雑感などを記しています。

隠されたタグ


「俺的ポストモダンな世界観」ついて以前の日記(d:id:pochitto:20050421)で書いたんだけど、その世界観に沿って雑感を書いてみるテスツ。


現代人は多数のキャラクタを所有している。私人としてのA、職業人としてのA'、ネット上のハンドル名で認識されるA''、etc。
そして、個々のキャラクタは、様々なタグによって特徴付ける事(タギング)が可能だ。Aは男/日本人/19xx年生まれ、A'はB社勤務/プログラマー/・・・、A''はIDxxx/コミュニティCに所属/・・・。
情報技術の進歩により、多数の人々が多数の事物に対してタグ付けできるようになった。個々のキャラクタへ付けられたタグも、多数の人々により共有され、より洗練される。時には間違ったタグ付けもあるだろうが、古い時代の事を思えば修正は容易だ。
では、公にならないタグを持つキャラクタ(秘め事を持つキャラクタ)はどうなるかってーと、公的なタグを持つキャラクタとは別の体系を保持する事になるだろう。
例えば、犯罪行為を犯しながらボランティア活動に従事する弁護士とか、ネット内で煽りを繰り返す大学生とか、そういう人たちが持つ「裏の顔」=キャラクタだ。
「隠されたタグ」を保有可能な領域(匿名ネット等)は増大し続けるだろうから、そこに所属しようとするキャラクタも増大するに違いない。それらのキャラクタは、マスコミから「性格異常者」「犯罪者予備軍」のタグを付けられるのだろう。
とはいえ、「隠されたタグ」を持つキャラクタを差別し、駆逐すべきではない、と個人的には思う。一種のガス抜きとして機能してるかも知れないし、現代社会を構成する知の体系に、少なからぬ影響を与えているだろうし。あるいは、今後出現する新しい社会概念を構成する一要素になり得るかもしれない。VIPPERあたりは、その走りじゃないかという予感がする。何より、個人の問題だ。
もちろん、これらのキャラクタが法を犯す事があれば、法に則って処罰すべきだ。けれど、そうでない場合はむやみに問題視すべきでないと思う。