pochitto’s blog

詩、雑感などを記しています。

若者のモチベーションを削ぎ続ける年功序列制

ホワイトカラーの熟年と若者は、年功序列によって時間当たりの生産性と賃金とが逆比例した状態に置かれている。
パソコンが普及した今、若者の生産性は熟年のそれに比して高い。同じ報告書を作成するのに、熟年が要する半分の時間で完了してしまう。にも関わらず、若者の賃金は低く据え置かれている。
サービス残業は常態化し、WEを待つまでも無く割増賃金は一律カットされている。
かつての若者は将来のインフレに期待する事ができた。放っておいても賃金は上がり、それは現在の、理不尽ともいえる労苦を補うのに十分だった。しかし時代は移り、長く続くデフレにより賃金の定期昇給は幻想となった。にも関わらず年功序列の仕組みだけは残り、熟年層は高水準の賃金を享受し、若者は低水準の賃金に甘んじることとなった。
若者がいくら生産性を上げようとも、自らが組み込まれた年功序列の枠組みから逸脱することはできない。それは組織からの離脱を意味し、リスクを伴う。労働市場の流動化は進みつつあるが、それは非正規雇用のみにあてはまる。労働市場に身を投じれば、一層賃金が下がる可能性が高い。ただでさえ低賃金に甘んじている若者が、進んでリスクを取るとは考えにくい。
ホワイトカラーにおける、こうした熟年と若者のいびつな逆転関係は今後も続いていくだろう。

いわゆる2007年問題によって一定数の熟年は退職するだろうが、年金問題に乗じて再雇用を選択する熟年もかなりの割合で存在するだろう。そうなった時、彼らは現在のポストをあっさりと手放すだろうか?やはり、年功序列の枠組みは当分の間消えそうにない。
置き換え可能な労働力は依然として序列下位の者=若者であり、熟年はその対象になりにくい。つまり高賃金の事務職は極めて流動性が低い状態にあると言える。そのことが、若者のモチベーションをより一層削いでいるに違いない。日本におけるホワイトカラーの低生産性問題も、実はこのようなところから出発しているのかもしれない。