pochitto’s blog

詩、雑感などを記しています。

詩の上達について考えてみた。

同人活動でお世話になっているボルカさんの掲示板で、ボルカさんと元箱男さんによる「詩の上達」についての対論が進行中です。
http://www.mars.dti.ne.jp/~zoball/bbsp/


筆者にとって、「詩が上達する」=「自然体に限りなく近づく」ですね。
完全に近い自然体が詩全体に浸透した状態、これが筆者にとって理想的な詩境です。
道具を使って絵を描くとき、「道具そのものが持つポテンシャルをいかに引き出すか」が極めて重要だと筆者は考えます。詩にとっての道具とは表現対象そのものであり、それは「内なる/外なる自然」に他なりません。言い換えれば「自然そのものが持つポテンシャルをいかに引き出すか」についての知識・技能を精錬させていく事が詩の上達に繋がる、そう筆者は考えます。
それらの知識・技能はどうやったら精錬させていけるのか?
やはり数多く読む事が近道でしょう。そうして、脳内の知識データベースのレコード数を増やす。読まずに書いて傑作を生み出せる人も中にはいるのでしょうけど、少なくとも筆者は前述の方法を取ります。このやり方で、知識は増やしていけるはずです。
技能はどうでしょう。辛らつな批評家が身の回りにいるのがベストかな、と思います。筆者は2ch詩板出身で、あそこには辛らつな批評家が増殖したエージェント・スミス並にいました(w)良スレにおいては一行レスひとつ無駄にはなりません、でした。今はどうか知りません。
そして、他の詩作が辛らつな批評に晒されている姿もよく見ておくこと。他の詩作の良い点、悪い点を多角的に知ることができます。このような批評空間に身を置いていると、「読み手」とはどのようなものか、彼/彼女にどう読んでもらえば良いのか、どのように感じてもらえばいいのか、そのための技術を鍛え上げられるでしょう。
そのようなプロセスを経て、内なる/外なる自然のポテンシャルをいかにして引き出すか、その極意がおぼろげながら見えてくると信じています。


偉そうなことを書きました。
まあ、筆者にはその「極意」がまったく見えてないのが現状です(w