pochitto’s blog

詩、雑感などを記しています。

図書館にて

日経サイエンス8月号の「よみがえるフロイト」。すさまじい勢いで進展しつつある脳科学において、脳の機能とフロイトの「心のモデル」とが不思議なほど一致する事が明らかになりつつあり、同時にフロイトの理論が見直されつつある、という記事。たとえば「超自我」は「背側前頭皮質」の機能、「エス」「リビドー」は「脳幹」の機能、「抑圧」は「腹側前頭皮質」の機能、といった具合に、きれいに対応付けができる、との事。科学界においてフロイトの名誉が回復される事を切に願う。


ぽげ氏のブログ「肉芽観察日記」(http://d.hatena.ne.jp/poge/20040507)で言及されていた「クール・ルールズ」(クール・ルールズ)を読む。クールの来歴は思いのほか古く、時代と共に新しい文化と融合し、変化していったんだな、と驚く。
そこで考えた。
ネット詩はクールだろうか。
クールって、基本的に寡黙でシャイで、それでいて反抗的で、自身の主張をアーティスティックに表現する。というのが基本かな、というのがオレの見方。さて、ネット詩はこれらの要件を満たしてるか、というと全然ダメっぽい。そもそもネット自体が「ツール」であると同時に「コミュニティ」であり、そこでは「いかにコネクションを多く持つか」がもっとも重要になってくる。クールの「寡黙でシャイ」な部分は、ここでごっそり欠落せざるを得ない。また、「自身の主張をアーティスティックに表現する」余地も少ない。ネット自体がコミュニティとしての役割を持っている上に、ネット詩を発表する場のほとんどが「掲示板」「会議室」の体裁を取っているので、詩人といえども饒舌にならざるを得ない。自身の主張を、文字通り「主張」してしまうという、最も「ダサイ」方法で自らをアピールせざるを得ないのだ。ネット詩でクールに決め込む、というのは探せど見つからぬ聖杯なのかも知れない。ネット詩の掲示板に群れ集まる円卓の騎士は、結局のところおしゃべりや足の引っ張り合いで消耗し切ってしまうのか。
自戒を込めて。