pochitto’s blog

詩、雑感などを記しています。

面倒な問いについて

いわゆるオトナが、「自分とは何か」「己と他者」といった面倒な問いから目をそらすのは、
一言でいえば「死なないため」だ。
自らの生を賭してまで実存の根源に立ち向かうオトナなど、一般社会にほとんど存在しない。
圧倒的大多数のオトナたちは、そういった面倒な問いを黙殺し、考えないようにしている。
そうすることで、脆弱な自我を辛うじて維持できるから。
面倒な問いと対峙する、それは死と対峙することに他ならない。
死を徹底的に隠蔽した社会において、それは極めてリスクの高い行為だ。
何より、経済的じゃない。
だが、
だからといって面倒な問いから目を逸らすオトナを蔑んではならない。
彼ら彼女らは、やむを得ない選択を半ば強いられた結果、
生を強いられたのだから。
生けるもの死せるもの両者に引き裂かれるもの、
それらは見えざる線上にプロットされた粒子に過ぎず、
私もあなたもそうなのだから。