pochitto’s blog

詩、雑感などを記しています。

内側と外側

読み手を揺さぶる詩は、「外側」「内側」の区別が無いように思える。要するに包括的なのだろう。クラインの壺よろしく、内と外が融合している。
そういった見方をすると、オレが書く詩は、明らかに「外側」から「内側」を(あるいは、内側から外側を)傍観している。トーラスみたいなもんだな、内側あるいは外側にベッタリ貼り付いて、境界を越えられずにいる。
結局のところ、読み手を揺さぶれんのだ。読み手の首根っこを引っ掴んでおいテメェが長年培ってきた認識の土台を根底から覆してやるから覚悟しやがれってな具合で凄んでやろうと手を伸ばしたら強化ガラスに激突して突き指した挙句に驚いた鳩が食いかけのパンくずを残して数羽バタバタと飛び去るぐらいなものだ。揺さぶるには、包括的でなければならない。さて。