pochitto’s blog

詩、雑感などを記しています。

詩とテーマと大喜利と

構造(id:sexyhoya_kouzou)が俺の過去の作品について言及していたので、詩を作るという行為についてちょっと考えてみた。
ちなみに過去作品「僕は世界の何を知ったというのだろう」はこちら↓
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/music/620/1038829493/r11


詩を書くにあたって、(俺の場合)テーマの有無が決定的に重要な要素となる。
テーマ無しに詩を書き始めると、そりゃあもうグダグダ、支離滅裂、意味不明とヘレンケラーも真っ青の三重苦に見舞われてしまう。
んで、重層的な意味を持つテーマなりキーワードを提示してもらうと、ようやくマシな詩を書くことができる。まあ、普段よりちょっとマシな程度だけれど。
といった妄想を職場で繰り広げているうちに、大喜利との関連性らしきものを感じ取り、それらに必要な能力について若干の考察を行ったので、以下に垂れ流すことにした。
テーマに即した、と同時に気の聞いた詩を作るには、以下4つの力が極めて重要な役割を果たしていると見た。

  • 反射神経

テーマに即座に反応できるか否かが、詩の出来不出来を左右するように思える。悩み迷って書いた詩に限って、ロクなものがない。

  • 知識量

テーマに即座に反応できるということはつまり、知識量も影響を与えている。知識量というか、己の奥底から記憶をどれだけ呼び出せるか、の能力。

  • スキル

反射神経と知識量によって想起された詩情を、どのように組み立てるか。ここでスキルの有無が非常に重要となる。俺のようにスキルの不足している者は、この時点で跳ね除けられてしまう。

  • 衝動

最後に、内側から突き上げてくる衝動、「作らずには居られねぇんだよ!」という内なる声が無ければ、誰も詩なぞ作りはしない。


これらの力がうまく組み合わされてこそ、読み手の魂に(もちろん作り手の魂にも)打ち響く詩が生まれるんじゃないだろうか。んが。