pochitto’s blog

詩、雑感などを記しています。

ペイン

食ったもん全部吐いて 
ぶっ倒れて口で息して 
それでもどうしようもない俺の 
痛みを誰がどうしてくれる 

晴れた朝 
たったひとりで 
丘の上 
パンツ下ろして 

右手でオナニー 
左手に詩集 
太陽に向かい 
泣きながらオナニー 

喘ぎ声さえでやしない 
俺のすべてをふり絞り 
眩い光に包まれオナニー 
それさえ涙でよく見えない 

俺の痛みをどうしてくれる 
俺の痛みをどうしてくれる 


爪を拳に食い込ませ 
ようやく今日まで生きてきて 
ほんの僅かな喜びを 
大袈裟に飾り自分を騙す 

そんな暮らしもいつかは破れ 
台所の隅うずくまる 
陽の光さえ届かない 
暗い我が家のその隅で 

グラビア雑誌読みながら 
死ぬ言い訳を探してる 
巨乳アイドルの胸の谷間 
生きる希望を探してる 

俺の痛みはどうすることも 
俺の痛みはどうすることも


格好つけて痛みの事を
ペインと書いて眺めると
他人事のように思えて
引きつり笑いを隠せない

思いつくまま痛みの事を
時にはポエムと呼んでみる
ポエムで体が動かない
ポエムのあまり死ぬかもしれない

人はそれを人生と呼ぶ
俺も潰れた声で叫ぶ 人生!
ポエムとペインを両手に抱え
丘の上で洟を垂らす

俺の痛みをどうしてくれる
俺の痛みをどうしてくれる

俺の痛みをどうしてくれる
俺の痛みをどうしてくれる

※絶叫スタイルで朗読下さい。

ポエザル

ポエザルへ行ってきた。いかいか&ましゅうさんとは初対面。いかいかは修行僧と見紛うばかりの外見で、いい意味で期待を裏切られた。ましゅうさんは小柄で大きな目が印象的。ってか最強さん来なかったのは超残念。。。
でもってポエザル。いやー、面白かった。もう脳の帯域がいっぱいいっぱいになりそうなぐらい、大量の新しい経験を得られた。詳しいレポはロゼッタMLに書いてしまったので多くは触れないが、なかなか考えされられる事多数。でも眠いので今日はここまで。

レコードの針が飛び又今日を生き

霧の朝 色無き街は 無声映画

誰が為に何為す為に列を成す

ギリギリで乗れず見送る特急の
ガラスケースに並ぶ生首

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OLの魔窟を仰ぐビルヶ谷 鍵盤で操るつもりが操られ ポケモンを集めぬオトナは何集む 「いつまでも進歩ねーよな、俺らって」 重役会議で皆が頷く

番外

ギリギリで乗れず見送る特急の
窓に生首揺れ浮き沈む

効率について


個人の作業効率を上げれば上げるほど
その個人の収入は下がる
特に一般企業の事務処理においては
たとえば
効率アップを追求した結果
従来10時間かかっていた処理を
8時間でこなせたとする
従来2時間の残業が必要であったものを
残業無しでこなせたとする
その結果
従来残業代として支払われていた割増賃金を受け取れず
収入が目減りする
それだけではない
残業をしない=忠誠心が低い
残業をしない=仕事ができる=上司を脅かす存在
とみなされ
評価を低めさえする
あるいは 足元を掬われる
そんな馬鹿な
喚き叫ぼうが
残念ながら
そのような者があなたの上司であり
そのような愚鈍な人々だけが
企業に居座り続ける
事実
これを受け入れねばならない

成果主義
忘れてはいけない
あなたの成果を評価するのは「あの」上司だ

あなたが収入を増やしたいのなら
あなたが誰かの上司になりたいのなら
あなたは作業効率を上げるべきではない
抜きんでてはいけない
とだけ
述べておく

擬態について

以前の日記(d:id:pochitto:20050421)で、自分(self)の中にたくさんのキャラクタが居て、多重人格ではないそれらは同時並行的に存在し、それぞれのコミュニティに所属する、というような事を書いた。
これって何かに似ているな、とずっと考えていたのだが、ふと「擬態」に似ている事に気づいた。

擬態(ぎたい)とは、生物やヒトが、その色彩や形、行動によって周囲の環境(地面や植物、他者等)と容易に見分けがつかないような効果を上げること。カモフラージュとも言う。保護色という言葉もよく似ているが、こちらは主に色彩だけでその効果を上げている場合に使う。

自演ではなく、擬態。周囲に溶け込む、違和感を感じさせないように紛れ込む、そのためにキャラクタを使い分けている。そう考えると分かりやすい。
状況=空気と読み替えてみると尚良い。
昨今のはてな界隈で喧しい「空気嫁」だの何だのも、擬態能力の問題だと気づく。
否定的な文脈で書けば、こうだ。

キャラの使い分けができない=空気が読めない

コミュニティに、別のコミュニティに所属するキャラクタが擬態せずに紛れ込むことで、「空気」が乱される。そして多くの場合、淘汰が働く。あーヤヴァイ。これってGAで解析できるかもしれませんよ奥さん。
逆に、肯定的に捉えることもできる。

キャラの使い分けができない=純粋、イノセンス、裏表ない人、子供のような人

つまりこうだ、自分(self)の擬態能力の強弱によって、空気が読める人そうでない人は色分けできる、という事だ。それは否定的にも取れるし、好意的にも取れる。


・・・と書いたが、この結論は浅い。もう少し勉強してから改めて考えてみよう。

面倒な問いについて

いわゆるオトナが、「自分とは何か」「己と他者」といった面倒な問いから目をそらすのは、
一言でいえば「死なないため」だ。
自らの生を賭してまで実存の根源に立ち向かうオトナなど、一般社会にほとんど存在しない。
圧倒的大多数のオトナたちは、そういった面倒な問いを黙殺し、考えないようにしている。
そうすることで、脆弱な自我を辛うじて維持できるから。
面倒な問いと対峙する、それは死と対峙することに他ならない。
死を徹底的に隠蔽した社会において、それは極めてリスクの高い行為だ。
何より、経済的じゃない。
だが、
だからといって面倒な問いから目を逸らすオトナを蔑んではならない。
彼ら彼女らは、やむを得ない選択を半ば強いられた結果、
生を強いられたのだから。
生けるもの死せるもの両者に引き裂かれるもの、
それらは見えざる線上にプロットされた粒子に過ぎず、
私もあなたもそうなのだから。

ロングテールの夢から醒めた霧の朝

  • ロングテールCGM等のバズワードを持ち出すまでもなく
  • 創作物の作り手はこの先増え続ける
  • だが圧倒的多数の創作物は現在価値<将来価値であり
  • 創作物の激増により現在価値さえも目減りし続ける
  • 間違っても死後再評価など期待しないほうが良い
  • 宝くじ1等の当選確率>死後再評価される確率
  • だからといって書く事を止めろ、とは言わない
  • 経済行為としての創作ではないのだ
  • それを理解すべきだと言いたい
  • とはいえ小銭を、対価を、報酬を期待するのが我々小市民であり
  • ジレンマであり、不快感の根底をなすものであり、現実である
  • 作られた時点で創作物は市場競争という名の神の管理下におかれ
  • 永遠に価値を剥ぎ取られ続ける
  • 他者を出し抜いた者たちは 創作なぞ
  • とっくの昔に止めているのに
  • どこまでも続く平坦な坂道を
  • 泥まみれでのた打ち回りながら下っていく
  • その悪あがきを
  • 創作と呼ぶに過ぎない