pochitto’s blog

詩、雑感などを記しています。

詩とセルオートマトン

詩は読み手にポエジーを発生させる、という前提に立って、セルオートマトンによる詩の生成、というものが考えられないか、昨日から考えている。
「詩は書き手のポエジーを写しとったもの」という前提に立てば、そこにポエジーなど発生しようがないけれど、前者の立場を取ればポエジーは無限に発生し続けることになる。で、どうするよ?>俺。さて。