pochitto’s blog

詩、雑感などを記しています。

この両手は自分自身か

「超」整理手帳関連のネタをひとつ。
http://staff.cocolog-nifty.com/room/2004/01/post_8.html
ココログスタッフも「超」整理手帳使いだという話。
思ったのだが、表意文字を含む言語で思考内容を表出しようとするとき、最終的に紙に書き写すのが一番優れたやり方なんじゃないかと。
筆者もあらゆる電子媒体―Zaurus,Raputer,Palm,PocketPC,PC―でメモ書きを試してみたが、どうもしっくりこない。書き記したはずの内容が、記憶に定着しないのだ。
表意文字の場合、形態そのものが記憶に極めて重要な影響を与えているのではなかろうか。"憂鬱"と整ったフォントで表示されるのと、書き殴るのとではまったく印象が異なる。電子媒体で書かれた"憂鬱"は特徴がないし、スクロールすらする。また、書くためのプロセスが大きく異なる。yuuutuとタイプインするのと、憂鬱と一画ずつ書くのとはずいぶん違う。ただ、プロセスの違いはそれほど問題にはならないと思うが。
自身の記憶に残る必要もない文字列を生成するだけであれば、電子媒体で充分だろう。だが自身の記憶に定着し、自身に影響を及ぼすためには違うやり方が必要だ。筆者はそう考える。